柿坂宮司のこと
「私は人様のいうことは聞かないけれど、
神様のいうことは素直にきくのです」
柿坂宮司の著書「たいらけく やすらけく」の帯にある言葉です。
私は柿坂宮司に惚れていて、この1日から4日まで、奈良県吉野郡天川村坪内での瞑想・坐禅・地護摩焚き等の神仏融合のリトリートで再会し、その思いを新たにしました。
そこで、今回は柿坂宮司のことを紹介しましょう。
(プロフィール)
昭和12年生まれ。奈良県吉野郡天川村に、七人兄弟の末っ子として誕生。若い頃には南米アマゾンで暮らしたり、世界中を旅して、現地の人々の祈りの儀式などを実際の体験で学ぶ。その後、さまざまな仕事を経験しながら、父が宮司を務めていた天河神社で、掃除人として日々掃除に明け暮れる。1966年、大峯本宮天河大辨財天社第六十五代宮司に就任し、現在に至る。
その人となりは、阿部敏郎さんがブログ(https://abetoshiro.ti-da.net/)で紹介していますので、引用させてもらいます。
毎回のように感じるのは、柿坂さんのおもてなしの心です。
おもてなしの心は仕事でもプライベートでも不可欠ですが、ともすればそれが成功の手段になっていたり、形になっていたりします。
柿坂さんから感じるのは、そういうおもてなしではありません。
あえて言葉にするとしたら「真心」が伝わってくる。
今回のリトリートでも、禊殿で参加者の皆さんと瞑想したいとお願いすると、何日も前から自ら土木作業着を着て泥まみれになりながら周辺をお掃除してくれているのです。
おん歳83歳。
最近は足が思うように動かなくなっている中でのそのような姿には心打たれます。
もちろんそんなことは一言も口にしませんし、誰も気が付きません。
僕はたまたまそんな宮司さんの姿を見てしまったから、こうして報告できています。
これが本当の人間力なのだと思いました。
向禅師も違うところで柿坂宮司のおもてなしの心を感じていたようでした。
そのことについて最終日の講話の中で、こんなことを話してくれました。
おもてなしという言葉には2つの意味があります。
ひとつは、「もてなす」という言葉の上に、「お」という接頭語を付けたもの。
これは誰もが知る「おもてなし」という言葉の意味です。
もうひとつは、
表なし。
表面的に作られたものではないという意味です。
表がないということは、裏もなくなります。
裏とは、たとえば見返りを期待する心の様なものです。
そうか
表無しか。
「おもてなし」というセオリーをやるのではなく、真心がそうさせるのだと。
それが伝わるのだと。
さて、柿坂宮司の真心はどこからくるのでしょうか……?
言うまでも、長年早朝から禊(みそぎ)の水行をして神殿で祈り神様の思し召すままに生きることを、日々あらたに誓い生きてこられた「献身」の生涯が、自ずからなる「おもてなし」の真心となったのだと感じています。
同じく私より10年上で、その人となりに惚れている妙心僧堂師家・雪丸令敏老師にも長年の禅修行への「献身」による境涯の素晴らしさを感じています。
心から惚れ込み、師と仰ぐことができるお二人に出会えたのは、まさに神仏の加護であり勝縁と感謝しています。
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