臨済宗方広寺派 祥光寺和尚  向令孝和尚が、
いま風の時代に"いまここ道場"を開設。禅の心をお伝えしています。
坐禅会、法話、接心、リトリート等のお知らせ。                      

柿坂宮司のこと

2019年6月6日 at 19:58



「私は人様のいうことは聞かないけれど、

         神様のいうことは素直にきくのです」


柿坂宮司の著書「たいらけく やすらけく」の帯にある言葉です。

私は柿坂宮司に惚れていて、この1日から4日まで、奈良県吉野郡天川村坪内での瞑想・坐禅・地護摩焚き等の神仏融合のリトリートで再会し、その思いを新たにしました。

そこで、今回は柿坂宮司のことを紹介しましょう。

(プロフィール)
昭和12年生まれ。奈良県吉野郡天川村に、七人兄弟の末っ子として誕生。若い頃には南米アマゾンで暮らしたり、世界中を旅して、現地の人々の祈りの儀式などを実際の体験で学ぶ。その後、さまざまな仕事を経験しながら、父が宮司を務めていた天河神社で、掃除人として日々掃除に明け暮れる。1966年、大峯本宮天河大辨財天社第六十五代宮司に就任し、現在に至る。

その人となりは、阿部敏郎さんがブログ(https://abetoshiro.ti-da.net/)で紹介していますので、引用させてもらいます。


毎回のように感じるのは、柿坂さんのおもてなしの心です。

おもてなしの心は仕事でもプライベートでも不可欠ですが、ともすればそれが成功の手段になっていたり、形になっていたりします。

柿坂さんから感じるのは、そういうおもてなしではありません。
あえて言葉にするとしたら「真心」が伝わってくる。


今回のリトリートでも、禊殿で参加者の皆さんと瞑想したいとお願いすると、何日も前から自ら土木作業着を着て泥まみれになりながら周辺をお掃除してくれているのです。

おん歳83歳。

最近は足が思うように動かなくなっている中でのそのような姿には心打たれます。


もちろんそんなことは一言も口にしませんし、誰も気が付きません。

僕はたまたまそんな宮司さんの姿を見てしまったから、こうして報告できています。

これが本当の人間力なのだと思いました。


向禅師も違うところで柿坂宮司のおもてなしの心を感じていたようでした。

そのことについて最終日の講話の中で、こんなことを話してくれました。

おもてなしという言葉には2つの意味があります。

ひとつは、「もてなす」という言葉の上に、「お」という接頭語を付けたもの。

これは誰もが知る「おもてなし」という言葉の意味です。

もうひとつは、

表なし。

表面的に作られたものではないという意味です。

表がないということは、裏もなくなります。

裏とは、たとえば見返りを期待する心の様なものです。

そうか

表無しか。

「おもてなし」というセオリーをやるのではなく、真心がそうさせるのだと。

それが伝わるのだと。



さて、柿坂宮司の真心はどこからくるのでしょうか……?

言うまでも、長年早朝から禊(みそぎ)の水行をして神殿で祈り神様の思し召すままに生きることを、日々あらたに誓い生きてこられた「献身」の生涯が、自ずからなる「おもてなし」の真心となったのだと感じています。

同じく私より10年上で、その人となりに惚れている妙心僧堂師家・雪丸令敏老師にも長年の禅修行への「献身」による境涯の素晴らしさを感じています。


心から惚れ込み、師と仰ぐことができるお二人に出会えたのは、まさに神仏の加護であり勝縁と感謝しています。

明治神宮参拝しました

2019年5月24日 at 20:46



気がつけば、2ヶ月以上もブログ更新を怠っていました。
相済みません。

ドイツ行き、ウッドデッキ作成等々で忙しく、つい休み癖がついてしまいました(^。^;)

さて、今日は何について書くかな……。

そうそう、この間東京に行って、明治神宮に参拝してきました。
青葉若葉の生い茂る森の中の広やかな参道をゆっくりと歩くだけで、心が晴れやかになりました。

御苑の池の花菖蒲はまだ蕾みでしたが、蓮の花が満開でした。
水面(みなも)の緑のグラデーションの美しいかったこと!




さて、参道入り口の明治天皇の御製ですが、

神の開きし道も、仏の開きし道も究極のところは同じで、
人為を離れた、ノーマインドの「あるがままの地平」でしょう。
そのあるがままをあるがままに素直に受け容れ、与えられた状況の中で誠を尽くす、マインドフルにジョイフルにベストを尽くすことが、「道をひらく」ことだと思います。

天河神社で神主経験もある阿部ちゃん(阿部敏郎氏)に
「神道の真髄って何?」と聞いたら、
「はらえたまえ、きよめたまえ」と言うことでしょうと。

つまりは、心の浄化ですね。

坐禅修行を長年やってきても、煩悩・妄想の心の汚れはなくなりません。たしかに「煩悩無尽」で尽きることはありません。

この頃は煩悩は無くならない命のマグマのようなもの、これも天からのプレゼントと受けとめ、否定するのではなく浄化し活かす工夫が大切だなと感じています。

命の燃焼度が低いからくすぶるので、何事も三昧になって完全燃焼すればよいのです。

でも、どうすれば完全燃焼の三昧の日々がおくれるのでしょうか???……


楽しいこと、心地よいこと、あるいは自分なりに意義ありと感じる善行をどんどんやる。

これが、今の私なりの解答です。


七十の手習い

2019年2月13日 at 23:27

    【風信帖、空海】


七十の手習いで書道を始めました。

人様に差し上げて喜んでもらえるような墨跡を書きたい。
我流ではなく基本の臨書からやってみたいと思い立ち始めました。

ネットで探していたら、たまたまホームページが充実していた浜松市内の仮名が専門の先生に入門しました。仮名、漢字、実用と欲張ってならっていますが実に楽しい。

「あるがままの命(気)の律動の自ずからなる表現」ととらえると、すべてに通じるなと思いました。

臨書は形を真似ね、またその精神を習うことにより、我を無くし心を純化し養うものだと感じています。

書道をとおして、話すこと、思うこと等、日常万般において、まだまだ心源の純一な命に深化していない混濁した自分が自覚されます。

禅、書、華、茶、俳句…と、道を楽しむ日本文化は素晴らしい!

寺報「祥光」

2018年12月22日 at 11:45

赤ちゃんの魂に帰ろう!

2018年6月20日 at 17:47
   赤ちゃんの魂に帰ろう!


禅の修行は何かを得たり、特別な人になることではありません。

逆に、一切を放下し捨てる道です。
ああすべし、こうすべしの価値観、世間体、評判、名誉や地位へのこだわり等々…、一切のあれこれの思いから自由になる道です。

本来の魂の輝き・原初の生命力をさえぎり覆っていた心の重荷をなくすことです。

つまり赤ちゃんの魂に帰ることです。

20代を通して自宅出産の助産師をし出産アドバイザーをつとめたのち、オメガ・インスティテュートを共同創設。ホリスティック医療、心理学、異文化アート、スピリチュアルなアプローチで、国際的に知られているエリザベス・レッサー女史が※TEDで素晴らしい講演をしていますが、多くの赤ちゃんの誕生に立ち会って、彼女はこう確信していると言います。

人は唯一無二の価値を持ってこの世に産まれ、誰もが「魂」と呼ぶべき輝きをはなっている。

その自分の魂の輝きをおおい隠さずに、全ての魂の輝きを見つけることが新生児からのメッセージ。

産まれるときは誰もが「あるがままに産まれる」。


禅は、心しずかに「あるがままの命」に落ちつき、
本来の唯一無二の魂の輝きをとりもどし、赤ちゃんの無邪気な輝く魂に帰る道です。


※真の自分を語り、真の他者を見いだすとは「エリザベス・レッサー」
http://digitalcast.jp/v/25678/

I love you !

2018年6月16日 at 09:41
聴覚障害者赤ちゃんが、補聴器を使って生まれて初めて母親の声を聞いた時の心が温まる瞬間
https://youtu.be/f7GuSVCho9A


I love you !

愛が、愛の言葉がどんなに大切か

感動ですね。

合う歓び

2018年6月14日 at 14:35

「ねむの木子守歌」
https://www.youtube.com/watch?v=fE_pMJnQGA8&list=RDfE_pMJnQG


ねんねの ねむの木 眠りの木

そっとゆすった その枝に

遠い昔の 夜の調べ

ねんねの ねむの木 子守歌

……



今、飯田公園ではネムノキが満開です。
美智子皇后陛下が高校時代に作詞されたという「ねむの木子守歌」のとおり、
ゆらりゆらりと風にゆれる淡紅色の花の下に寝っ転がり、
その甘い香りにつつまれると、いつしか心地よい眠りに誘われます。

夜になるとゆっくりと葉を閉じることから「眠りの木」が転じて「ネムノキ」になったといわれています・
ネミノキの漢名は「合歓木」(ごうかんぼく)で、夜になると葉を合わせるように閉じる習性から、中国では夫婦円満の象徴とされ、これにちなんで花言葉は「歓喜」、「胸のときめき」だそうです。
夫婦にかぎらず、ネムノキは「合うことの歓び」を教えてくれているようです。

人の生きる歓びは、「合うことの歓び」に極まっているように思います。

家族、友人、恋人、師、自然、音楽や絵画の芸術作品、良書、食べ物等々…

人生至るところに「出会いの歓び」があります。

天地自然を師とする

2018年5月20日 at 00:12

    【飯田公園にて】


太上(たいじょう)は天を師とし、
其の次は人を師とし、
其の次は経(けい)を師とす。


最上の人は「天地自然」を師と仰ぎ、その次は「尊敬する人」を師と仰ぎ、更にその次は「教え」を師とする。

佐藤一斎の『言志四録』にある言葉です。


二十歳の頃から師と仰ぎ50年間参禅を続けてきた大井際断老師が遷化され、師と仰ぐべき人をなくしました。

71歳にもなれば、仰ぐべき師がなくて当然かもしれません。
しかし、禅の「己事究明」、己がどう生きるかを究明し続けることは生涯のテーマであり、師と仰ぐべきものから学ぶ姿勢は大切です。その意味で、大井老師は永遠の求道者でした。

師をなくして、
「さて、これからどう生きるか…」と考えたとき、ふと思い浮かんだのが佐藤一斎のこの言葉で、「天地自然」を師と仰ぐことにしょうと思いました。

芭蕉や西行のように、てくてくと歩き旅をしながら、自然にとけこみ自然を己が心として養い俳句や歌を作れたら最高でしょうが、せめて、散歩やハイキングで自然に親しもうと思っています。

庭仕事も土や植物等の自然が相手ですから、日々親しく自然に学ぶつもりで、無理はせずコンスタントに作務をすることにしました。
「天地自然を師とする」と決めると、
学ぶべきことが限りなくありそうです(^0^)

Blog

2018年5月14日 at 12:06
「ゆく川の流れは絶えずして」

ブログのテーマがなかなか思いつかず
気分転換に近くの天竜川のほとりまで歩きました。

ゆったりと流れる川面をながめていて
ふと思い浮かんだのが、方丈記の有名な冒頭の一文です。

鴨長明の時代も、AI時代といわれる現代も
方丈記の根底にある「諸行無常」の真理に変わりはありません。

『世の中にある人とすみかと、またかくのごとし』とあるように

ここ浜松市内も、あちらこちらでいつの間にか建物が壊され空き地になっています。
この頃は、私自身が老僧となってきたせいか
亡くなった人のことを思い起こすことが多くなりました。
近年、師匠の大井際断老師と弟弟子の良さん、そして母親が他界しました。
30年ほど前、祥光寺に移ってきた頃にお世話になった総代さんや近隣の老僧も
ほとんどお亡くなりになりました。

世の無常、人の命の無常を思うにつれ
今日一日生かされて「在る」ことが有り難く感じられ
一日一日を愛おしみ大事に生きようとの思いを深くしています。

そこで始めたことが、一日の予定と課題を明記することです。
朝起きれば、まずストレッチや簡単な気功で身体をほぐしてから坐禅をし
今日一日の命をどう使うか白紙にむかって考え、墨筆で一日の予定と課題を明記しています。
おかげで 一瞬一瞬 一日一日を、心源の神仏と直結して、あるがままの命を充実して暮らすことが出来ているように思います。




充実の一日

2018年5月9日 at 17:29
充実の一日



早朝坐禅会の茶礼で、バリスタ・もっちゃんの美味しいコーヒーをいただきながら楽しく語り合ったあと、
浜松市美術館に「The日本洋画150年展」を観に行きました。

地方の美術館としては豪華な内容で、黒田清輝、林武、藤田嗣治、梅原龍三郎、佐伯祐三、岸田劉生、青木繁など、日本洋画の名作を間近に鑑賞することができました。

特に、佐伯祐三の「パリの裏街」、林武の「赤富士」、向井潤吉の「春ー杏花の村」など、迫力の大きなキャンバスに描かれていて感動しました。

そのあとのランチは肴町のBeige(ベージュ、中区連尺町313-5、Tel:053-457-0188)で、私はライスバーガー、愛ちゃんはカレーライスを食べました.
発酵玄米と有機野菜の料理で、特に発酵玄米のもちもちした甘みと旨みの滋味豊かな味が、身体も喜んでいるようでとても気に入っています。

もう歳なので、
「無理せず、心地よく、気分良く過ごす」のが日々のコンセプト。
今日は、
早朝坐禅会、もっちゃんのスペッシャル・コーヒー、名画、美味しいオーガニックのランチと、心地よい超充実の一日でした(^0^)