臨済宗方広寺派 祥光寺住職向令孝(こっさん)が、"いまここ道場"スタッフと共に、禅の心をお伝えしています。
坐禅会、接心、オンライン接心、行事・イベントのお知らせ。                      

「一退一祥」

2020年6月15日 at 17:54


「一退一祥」
ー寺報「祥光」より

新型コロナウイルス感染の拡大は、ここ浜松市は幸いに防げているようですが、6月14日現在、東京では3日連続で20人を上回ったようですし、中国でも新たな感染者が50人を超えたと報じられています。世界規模の累計感染者は187カ国・地域で789万人に上り、死者は42万人を上回ったと報じられています。

まだまだ油断できない状況ですが、コロナ終息後の社会をどうのように立て直すかについても識者がいろいろと提言をしているようです。日本経済新聞社は、皆で日本の課題について考え議論する「未来面」を展開し、「やり方を変えましょう」というテーマで読者からの革新的なアイデアを募ったりしています。

 『易経』に、「窮すれば則ち変じ、変ずれば則ち通ず(行き詰まってどうにもならなくなると、何かが変わらざるえなくなる。そして何かが変われば、おのずと道は通じる)」とあるように、いま確かに、これまでの生き方、やり方を変えることが求められているようです。

 そこで、2つの関連するキーワードがひらめきました。

    「利から愛へ」、「一退一祥」

戦後の日本社会は、利益・発展求めて、先へ先へと進もうとするエートス(集合的心情)が牽引してきました。しかし、「利」を追求しすぎると「愛」「思いやり」が欠落します。「愛」「思いやり」が欠落すると、人間同士の連帯が破れ分断され、社会がいかに非生産的で野蛮になるか・・・
いま人種差別に抗議するデモがアメリカから世界各地に広がっています。西洋の自分たち白人の「利」だけを暴力的に追求してきた今日までの歴史の矛盾が、一挙に噴出しているようです。

 「愛」「思いやり」は、利の追求のみに走る過度の競争社会では育むことは出来ません。「須らく回向返照の退歩を学すべし」と道元禅師が言うように、いたずらに前に進むことを止め、社会から一歩身を退いて、坐禅・瞑想・祈りの自己に沈潜する行により、あるがままの素の自分に落ちつき、生かされてあることに気づき、感謝の念と共に、自ずと溢れてくるものです。
 「愛」と「思いやり」こそが「祥」(めでたい、幸いの)、社会創造の原動力となるのです。



利から愛へ

2020年5月22日 at 22:25


水曜坐禅会の「真ちゃん」こと生田真也氏(浜松市出身、バークリー音楽大学卒業、生田真也音楽事務所代表(http://shinyaikuta.web.fc2.com/mctjp.html)、
浜松ミュージック・アート少年団理事長)が、浜松凧を祥光寺に奉納してくれました。

コロナで先が見えない不安の中・・・、早期収束を願い人々を元気づけるような字を書いてほしいということで、本堂前のぬれ縁で話しあいました。

コロナをきっかけに、日本のみならず世界が大きく変わるだろう、その転換のキーワードは、

「利から愛へ」じゃないかな……。

ということで「愛」と半紙に墨書したのを、真ちゃんが拡大し凧に書き写し、一週間かけて作ってくれました。

英語のLOVEは、「愛」とも「恋」とも訳せるけれど、漢字の語源はどうなのだろう……?

ということで『漢字の形にはワケがある 』(KAWADE夢文庫)を調べてみました。

「愛」 過去を振り返ること
「旡」「心」「夂」の組み合わせによる「愛」。「旡」は人間が後ろを向く姿、「心」は人間の心、「夂」は人の足を表します。つまり、「愛」とは「人がゆっくり歩きながら後ろを振り返ろうとする心情」を表した漢字なのです。

「恋」 揺れる心
「恋」の旧字体は「戀」。「絲」は糸がもつれる様子、「言」はけじめを意味します。この下に「心」をつけると、「もつれた心の糸を解くことのできない状態」を示す「戀」になります。

            

漢字って面白いですね。

この頃ガーデニングにはまっていて、朝起きたら先ず庭をゆっくり歩きます。
ふと振り返って「あれ!このアジサイ水が欲しそう」と気づく。

無心な、ゆったりとした心が愛なのですね (*^▽^*)

恋は自我の想いで引っ張ったり引っ張られたりで、
もつれたり、乱れたりするわけです (^。^;)

今までの社会は、自我の思い・ストーリーが先行する、
自己中心の利益や利権が牽引してきました。ですから、「戀」と同じで乱れるわけです。

「愛」は、自我の思いを離れた、
無心・無分別の「あるがままの命」にほっこりと落ちつくことで自ずと生まれてきます。

「利から愛への転換」は、
坐禅や瞑想、あるいは無私の献身的な仕事による、ひとり一人の意識変革、人間的成熟が求められるわけです。

日本には元々そのような無私の仕事の素晴らしい伝統があり、今日まで目立たない普通の人々の間で確実に継承されてきています。

ZEN「禅」をはじめ日本の伝統精神を、ひとり一人が再発見し世界に発信する時なのでしょう。



藤波の 花は盛りに

2020年4月13日 at 18:20


本堂前の藤の花が咲きだしました。

ちょうど今月の書道のお手本も、藤の花をうたった紀貫之の歌です。



        緑なる 松にかかれる 藤なれど
 
             おのがころとぞ 花は咲きける

筆をとって書くにつれ、何か作為的な感じがして、あまり好きではないなと思いました。

それで調べてみると、正岡子規が『歌よみに与ふる書』において、万葉集を賞揚する一方で、「貫之は下手な歌よみにて、古今集はくだらぬ集にてこれあり候」と酷評していることを知りました。
和歌も俳句も日本文学史についても無知な私ですが、「子規さん、ちょっと言い過ぎじゃない」とは思うものの、やっぱり素直でおおらかな万葉集の方が好きです。

そこで万葉集で藤の花をうたった歌を探してみると、
大伴四綱が、防人司(さきもりのつかさ)として大宰府に赴任中、奈良の都を思い懐かしんで、長官であった大伴旅人に問いかけるようにして贈った歌がありました。

       藤波の 花は盛りになりにけり

             奈良の都を 思ほすや君


さて皆さんは、どちらの歌の方が好きですか?

富士山

2020年3月1日 at 14:32

  【Roky田中氏のカレンダー写真より】


     田子の浦ゆ うち出でてみれば

       真白にそ 不尽の高嶺に 雪は降りける


有名な山部赤人の歌です。

「浦ゆ」の「ゆ」は、「より、とおって」の意味だそうで、
壮大な富士が見えてくる動的な感動を伝える叙景歌の絶唱ですね。

幸いなことに、冬晴れの朝は、庫裏の二階の書斎の窓から、天竜川の土手のむこうに朝日を拝み、
その朝日に染まる紅富士を拝むことができます。

ただ、見えるのは頂上あたりだけで裾野は見えません。
やっぱり、富士山の美しさは豊かな裾野の広がりにあるでしょう。


「泰山は土壌を譲らず、故によくその大を成す」という言葉が『史記』にあります。

中国の名山・泰山は、どんな小さな土くれでも受け容れて大きな山となったという意味です。


「あるがままをあるがまま受け容れる」

霊峰富士山のように、絶対の受容体としてゆったりと毅然と在りたいものです。


ゆく川の流れは絶えずして

2020年2月5日 at 22:33
「ゆく川の流れは絶えずして」

ブログのテーマがなかなか思いつかず
気分転換に近くの天竜川のほとりまで歩きました。

ゆったりと流れる川面をながめていて
ふと思い浮かんだのが、方丈記の有名な冒頭の一文です。

鴨長明の時代も、AI時代といわれる現代も
方丈記の根底にある「諸行無常」の真理に変わりはありません。

『世の中にある人とすみかと、またかくのごとし』とあるように

ここ浜松市内も、あちらこちらでいつの間にか建物が壊され空き地になっています。
この頃は、私自身が老僧となってきたせいか
亡くなった人のことを思い起こすことが多くなりました。
近年、師匠の大井際断老師と弟弟子の良さん、そして母親が他界しました。
30年ほど前、祥光寺に移ってきた頃にお世話になった総代さんや近隣の老僧も
ほとんどお亡くなりになりました。

世の無常、人の命の無常を思うにつれ
今日一日生かされて「在る」ことが有り難く感じられ
一日一日を愛おしみ大事に生きようとの思いを深くしています。

そこで始めたことが、一日の予定と課題を明記することです。
朝起きれば、まずストレッチや簡単な気功で身体をほぐしてから坐禅をし
今日一日の命をどう使うか白紙にむかって考え、墨筆で一日の予定と課題を明記しています。
おかげで 一瞬一瞬 一日一日を、心源の神仏と直結して、あるがままの命を充実して暮らすことが出来ているように思います。




素晴らしきかな、この世界

2020年1月29日 at 20:33


天の海に 雲の波立ち 
   
    月の舟 星の林に 

        漕ぎ隠る見ゆ


満天の星が、遠く近く林のように輝き。その天の海を上限の月が船のように、波立つ雲間に見え隠れしているというのです。
「詠天」と題された柿本人麻呂の歌です。


北海道の禅友のお世話で、去年の9月は満天の星空のカヌーを、一昨年8月は満月のカヌーを阿寒国立公園で体験することができました。
涙がこぼれるほどの荘厳な美しさでした。


  【星空のカヌー、なおちゃん撮影】


「我が上なる星空と、我が内なる道徳法則、我はこの二つに畏敬の念を抱いてやまない」とカントの墓碑銘に刻まれてあるそうですが、星空にかぎらず、あるがままの自然の神秘に出会うことで、あるがままの自由な人間存在に帰ることが出来ると思います。

平凡な日常生活の中でも、
路傍の花や、空ゆく雲や、夕焼け空等……、
その気持ちさえあれば、自然の神秘に出会うことは出来ます。

良き人と出会い学び、美しい自然と出会い学び浩然の気を養う。

“WHAT A WONDERFUL WORLD! ”
素晴らしきかな、この世界です。


献身献身

2020年1月8日 at 22:29




「献身」と書き初めしました。

身も心も仏に捧げるという献身の心のベクトル(方向性)、心意気を養うことが、真実に幸福に生きる道です。
坐禅をしたり「ナムアミダブツ」と禅会で唱えるのも、この献身の心意気を養うことです。

この場合の仏とは万法、ワンネス、全体生命、宇宙生命、あるいは実在とも言われる根源的生命です。

人間の悩みや迷い苦しみは、自己ありという自我意識にとらわれ、自我の思い価値観を先立てて、現実を何とか自分の思い通りにしようとするところから生まれます。

大切なことは、先ずあるがままの現実を、そのままあるがままに受けとめることです。

あるがままの現実といっても、目の前の見たり聞いたりできる範囲の目先の現実だけではありません。目先の現実を包み込んであるところの全体生命です。
目先の現実をみるのが「見の目」とすると、全体生命をみる心の眼が「観の目」です。

宮本武蔵が『五輪書』で「眼の付け様は、大きに広く付るなり。観見の二つあり、観の目つよく、見の目よわく、遠き所を近く見、近き所を遠く見ること、兵法の専なり」と言っていますが、人生全般に通ずる名言です。

師匠の前方広寺管長・大井際断老師は入室参禅のたびに、

“天地一杯の無になりきってこい!”と言われました。

天地一杯の無に成りきれば成りきるほど、全体生命・宇宙生命を感得する「観の目」が開けてきます。

献身のベクトル(方向性)は、今ここのあるがままの全体生命に他なりません。全体生命は南無阿弥陀仏の無量光であり無量の命ですから無限大です。
無我の「献身」は、無限大の命に運ばれる真実にして幸福な確かな道です

「延命十句観音経」の勧め

2019年9月21日 at 19:32
 
 母が8月16日の昼過ぎ、近くの老人ホームで他界しました。享年95歳でした。

 亡くなった日の朝、ホームに面会に行って声をかけてみましたが、あまりすやすやと眠っているので、そのまま起こさずに帰りました。息を引き取った後の顔も朝と変わらず安らかな良い顔でした。

 面会に行く時は、母が大好きでしかも喉に通りやすいフルーツゼリーを定番に持参しました。
1ヶ月ぐらい前まではそれを完食していましたが、やがて半分になり、3割になりと次第に食欲がなくなってきて、1日前はスプーンに2,3杯も食べると、うとうとと眠ってしまいました。
16日朝は、「お母さん、フルーツゼリー食べる?」と声をかけても目をしばしばさせるぐらいで眠ったままなので、
ぼちぼちかなと感じていましたが……。

 私にとって母の最期の数週間の看取りは、とても貴重な経験でした。
読経、特に「延命十句観音経」の功徳を、母が実証し教えてくれたと実感しているからです。

 「延命十句観音経をとなえると、長生きできるよ」と、たまに母と唱和したりしました。
亡くなる数日前からは、小声で唱えながら母の手や胸をさすりました。
いかにも心地良さそうにすやすやと眠っていましたから、読経する心の波動は伝わっていたのだと確信しています。

母が他界しても、不思議なくらい悲しみはありません。
ただ、父が46歳で急死してから、女でひとつで私と妹を上の学校までやってくれた苦労を想うと、感謝の気持ちで一杯になり泣けてきました。
老衰による眠るがごとき大往生だし、
禅修行のお陰で、日頃から生死を超えた大道に生かされているという実感があるからかも知れません。 

 読経の功徳は肉親の看取りということだけではなく、
自分自身の雑念をはらい、心を安らかにし、肯定的で前向きな命の波動に導いてくれます。

まずは、簡単でしかも大いに功徳があると白隠禅師も勧めている「延命十句観音経」を日々唱えることをお勧めします。

独歩青天

2019年6月15日 at 17:20


人間の成長過程をたどってみると

誰でも「オギャ!」と赤ん坊で生まれ、
2歳ぐらいになると、
「私のママ」「私のオモチャ」というように、「私」という自我意識が芽生え「私」にとって大切な絆を意識するようになります。
「三つ子の魂、百まで」と言われるように、この時期に無条件の愛情に育まれることは、健全に成長するうえでとても大切です。

さて、次の第2ステップの少年期から青年期にかけての課題は「自立」です。

自らの自由意志をもって「自分で生きる」という積極的な生き方に転換することです。

特に青年期は孤独で不安なものです。今までの家族との絆から決別して「青年は旅に出る」ものですから。
親も、昔から「可愛い子には旅をさせよ」と言うとおり、一度居心地の良い家庭から我が子を外に放り出す勇気が求められます。

青年期の課題は、この不安・孤独を克服する自立の新たな根拠・土台を確立することです。

青年期に自立の土台がしっかりと形成されないと、世間の目を意識しすぎたり、会社等の所属する組織に飲みこまれたりしてしまいます。

言うまでもなく、世間も組織も究極のところ当てにはなりません。
残念ながら多くの人は、自我意識から脱することが出来ず、他を意識しすぎて世間や所属する組織から承認されることが安心の根拠となっているようです。

40~64歳の引きこもりが61万人を超えているそうですが、世間から自立し世間の価値観から自由になっていれば、引きこもりも引きこもりではなく、一次的な社会からのピットインとして英気を養うきっかけになるはずです。

「独歩青天」の真に自立した自由な人間となるには、先ず世間や組織から自立し、孤独に自己に沈潜し、自我の意識のあれこれの思いの届かない心の源(ソース)に立ち返ることです。

神仏は不可思議な心源にこそ居まします。

人間にとっての究極の拠り所・自立の根拠は、今も昔も心源の精神性にしかありません。

禅の修行は、その心源に徹する最短の道ですが、一般の人にはハードルが高いかもしれません。

でも、心源の精神性を体得することは誰にでもできます。

自分を支えてくれている天地の限りない命に気づき、感謝し賛嘆することです。

「ア・ス・モ」の真言を常日頃唱えることです。

「ありがたいな! すばらしいな! もったいないな!」と、日々暮らことです。


すなわち、悠久の天地を自立の根拠とすることです。

Two nice old men

2019年6月9日 at 20:50

There are two nice old men whom I love and respect very much.

After my master Oi-Saidan Roshi passed away, these two old men have become my next masters privately. Both of them are 83, and 10 years older than me.


One is Yukimaru Reibin Roshi who is a Zen Master of Myoshinji Zendo in Kyoto and my Dharma brother.


The other is Kakisaka Mikinosuke Guuji who is the chief priest of the Tenkawa Benzaiten Shrine.

I respected them especially for their basic life postures of devotion “Ken Shin” to the way.

For long time Yukimaru Roshi have practiced Zen Way as same as young Zen Monk “Unsui” in Zendo.

Kakisaka Guuji have gotten up at 3 o’clock to perform his ablutions “Misogi” to pray.

Their behavior of hospitality “Omotenashi” are very natural and many people have deeply touched by their “Omotenashi” spirits.

I feel their “Omotenashi” spirits come up their basic life posture of “Kenshin”.

They must accept all beings as Godhood or Buddhahood.