臨済宗方広寺派 祥光寺住職向令孝(こっさん)が、いま風の時代に"いまここ道場"スタッフと共に、禅の心をお伝えしています。
坐禅会、接心、オンライン接心、行事・イベントのお知らせ。                      

無事是貴人

2021年8月10日 at 09:14

残暑お見舞い申し上げます。そしてコロナ禍の中で、共に生きる皆さまのご無事を心より祈ります。
さて、無事には心の無事という意味もあります。臨済禅師は「無事是貴人、ただ造作することなかれ、ただ是平常なれ。」(ことさらに何ごともしない人こそが高貴の人だ。計らいをしてはならない。ただあるがままであればよい)と言いました。臨済の無事は、どんな事があっても「ほっこりと落ちついた心」の絶対の受容体としてあること。その秘訣は、いまここに生かされてあることへの深いおもいでしょう。

I pray for the safety(BUJI) of everyone who lives together in the pandemic of Corona.
By the way, BUJI also means that the mind is peaceful.
LIN-CHI said, “The noble man does nothing special. Just don’t strive. Just be ordinary.”
LIN-CHI’s BUJI(do nothing especially) is to be an absolute receptivity and be a “warm and calm heart” no matter what. The secret is a deep thankful feeling that you are given life here now.

三昧

2020年10月13日 at 17:59


2020年10月17日 : YouTube配信
YouTube “Zen breeze”で仏道修行の基本コンセプトである三学(戒律・禅定・智慧)について配信しました。禅定は三昧と同義であり、日々三昧に暮らすことが大切です。
I delivered on YouTube “Zen breeze” about the basic concept of Buddhist training Sangaku (Kai Ritsu, Zen meditation, and wisdom). Zen meditation is synonymous with Samadhi, and living in Samadhi every day is essential.

https://youtu.be/fQQBhpeZDZ4?t=92

顧みる

2019年2月5日 at 13:34


「日々是好日」の禅語で有名な中国唐時代の雲門禅師に、「三字の禅」という公案があります。顧・鑑・?(こ・かん・い)の三字で弟子たちを指導したということです。
顧は、自らを振り返ること。鑑は、自らかんがみて戒めとすること。?は、説くことの出来ない境地。

禅は、あれこれの思考を離れ、いまここを成りきって生きることを説くばかりではなく、自らを振り返ることも大切なことだ教えているわけです。
例えば、毎日就寝前に少し坐禅をして1日を感謝の気持ちで振りかえることは安眠にもつながります。今日一日無事に過ごせたのは。多くの人々の恩愛や食物等の恵みのお陰ですから、「ありがとうございました」と振り返るだけで心がほっこりと豊かになります。

嫌なこと失敗したことも、神仏からのプレゼントと受けとめ振り返ると、成長につながる気づきがあります。

実は数日前、本山の大法要で失敗をしました。
式の流れに影響するほどのミスではないのですが、心が少しめげました。
そこで「顧」、失敗の原因を振り返って気づきました。
元来「我が道を行く」で自己中になりがちな私だから、私にとってははじめて経験する役で、自分がする事ばかりに気をとられ、私が補佐する大導師や全体の流れの中での配役という観点が欠けていたようです。
なにごとも「観の眼」、全体観をもって場に奉仕するよう心がけようと思いました。

平常心

2019年2月1日 at 08:29
大坂なおみ選手が全豪オープンで優勝し、全米大会に続く2連勝で女子世界ランキング1位になりました。

「INNER PEACE、インナーピース」

大坂なおみ選手が口にした言葉です。
直訳すると(内なる平和)ですが、心が静かで穏やかなときに、いいプレーができるという意味です。日本語では「平常心」にあたるでしょう。
相手のプレーにイライラしたり、プレーが思うようにいかなくて不安になったりすることなく、「平常心」を保つことで試合を良い方向へ導き自分の実力が発揮できたということです。

禅語に「平常心是道、びょうじょうしんこれどう」(無門関第19則)という公案があります。唐時代の禅僧南泉和尚に弟子の趙洲和尚が「如何なるか是道」と尋ねて、南泉禅師は「平常心是道」と即座に答えられたという、禅門では有名な公案です。

「道」とは、皆と共に行く真実に幸福な人生の大道です。
ですから、平常心を保つことはプロスポーツの世界だけでなく誰にとっても大切な人生の智恵です。

「平常心をもって一切の事をなす人、これを名人というなり」
柳生宗矩(徳川家の兵法指南役)の言葉ですが、どんな時でも平常心を保つことたやすいことではありません。
大坂なおみ選手は、平常心を保てた秘密に、《靴は右から履く》《朝食は必ずサーモンベーグルを食べる》など独自のルーティンがあることを明かしていたそうです。
ルーティン(routine)とは「決まった手順」「お決まりの所作」「日課」などの意味です。

例えば私のルーティンは、①朝起きたら朝日と、晴れた日は遠くの富士山を拝む②軽くストレッチ・気功をしてから坐禅をする③
朝食前、ご先祖の仏壇に茶湯をあげて合掌礼拝する③寺を出るとき帰った時、外からご本尊と師匠の遺影に向かって「行って参ります、ただいま帰りました」といって合掌礼拝する等です。
お陰さまで、毎日(スッキリ・サッパリ・サワヤカ)に楽しく暮らしています。

皆さんも、是非自分なりのルーティンを作って、日々平常心をもって暮らしてください。

喜心

2019年1月23日 at 23:23



坐禅を続けてきたおかげで、年と共に喜心を感じることが多くなってきました。有り難いことです。

坐禅は、あれこれの思いの囚われ・自我意識を脱却して、本来生かされてあるところの心源・ソースに徹底する道です。
心源・ソースに徹底すればするほど、「あるがままで大丈夫」という無条件の自信・心の安らぎ(安心)に至ります。
心が安らぎほっこり落ちついてくると、いまここに生かされてあることの喜び(喜心)をしみじみと感じるようになります。

しかし坐禅を始め見性もした2,30代は、「喜心」を感じる余裕などなく、ただ仕事上の課題に必死で取り組んでいました。当時の坐禅は、あれこれ思うことなく眼の前の課題に全身心を投げ出してひたすらに生きる「直心」を用意してくれたように思います。
直心のすえに喜心に至ったこの頃と言えるでしょうか。



静寂

2019年1月9日 at 19:32


「静寂」と書き初めにかきました。
「動中に静寂を保持する」ことが、今年のテーマです。

白隠禅師は「動中の工夫は静中に勝ること百千億倍す」と言われています。

静中の工夫は、坐禅によりあれこれの思いを離れ、心しずかにあるがままの命に落ち着き安らぐこと、即ち心源に徹すること。

動中の工夫は、日常の慌ただしい生活の最中にあっても、心静かにあるがままの命に落ち着いて、環境に左右されない不動心を養うことと言えます。
即ち「動中に心の静寂を保持する」ことです。

さて、その秘訣は何でしょう……。

一、毎朝晩十分でも坐禅を続けて、いつでも思いから自由になれる禅定力を養うこと。
二、合気道の極意と同じで、動中にあっても完全な受動態・無の器・恵みの器と成りきることです。
完全な受動態と言うと、いかにも主体性が無いようですが、自我の思いにとらわれて余計なことをせず、その時その場で求められていることを素直にすることです。

「言うは易く行うは難し」で、
私にとっては永遠のテーマです。



狂い咲き

2018年11月11日 at 21:39


   諸君、狂いたまえ!


これから冬に向かうというのに、本堂前の大島桜が咲き出しました。

いつもなら3月中旬の春の訪れに咲き出すのですが‥‥

たぶん、この間の台風の潮風で一斉に葉が落ちきってしまったことと、11月とは思えないこの頃の暖かさが原因なのでしょう。


狂い咲きと言えば、

吉田松陰は「諸君、狂いたまえ。」と言い、自らを狂愚とよんだそうです。

「狂」は積極的に何事かを進み取り行動することに鋭く。
「愚」は逃げることを知らない馬鹿正直な人間という意味のようです。

まさに吉田松陰の生き方そのもを体現したかのような言葉です。


確かに、大きな成功をおさめた事業家や発明家は、どこか常軌を逸した狂ったような行動をしています。


平凡に安穏と生きるのも良いですが、

限りある人生、狂ったように生きるのも面白いかも知れません。


【追伸】
ブログ配信の文章がなかなか思いつかなくって困っています。

何か同じことばかり言っているようで(^。^;)

そこで今回からは、今週の禅語・名言というテーマで配信することにします。

直心是道場

2018年11月2日 at 08:12



  直心是道場(じきしんこれどうじょう)

人生で師と仰げるような素晴らしい人に出会えるのは、とても幸せなことです。

感動をもって人に出会う。
その出会いの充実した楽しい一時は、思い出しても懐かしくうれしく、何よりも生きる励みとなり自分を成長させてくれます。

妙心僧堂で雪丸令敏老師に相見したあと、貴布祢の料理旅館でご馳走になったうえ京都駅までタクシーで送っていただきました。

親しくお側に居させていただいたのは数時間ですが、
「やっぱり、この老師は素晴らしい、師と仰ぐべし!」と思いました。

おそらく20代の雲水時代から今日までの約60年間、ほとんどが僧堂生活で一貫して修行を続けてこられたのでしょう。その刻苦の修行もさることながら、命直(いのちじか)づけの修行が徹底されていると感じました。

中学を出てすぐに大工修行に入り、縁あって二十歳の頃に出家し修行を続けられたようですから、知的に字面で学ぶより、身心一如の境地で命直づけの学びに徹底できたのだろうと思います。字面で多くのことを知って語れる人は多いでしょうが、語らずとも体得し実践している人は少ないものです。

タクシーの運転手さんよりも京都の道に詳しかったり、女将さんや仲居さん他多くの縁のある人のことを家族のように覚えていて「誰それはどうしてる?」と、気さくに親しく声をかけながらチップをはずまれる御本人は、雲水でも外出には着ないようなパッチワークの作務衣なのですから、自らは清貧にして利他行を楽しんでおられるのだと感心しました。

学は自得を貴ぶ。人いたづらに目を以て有字(うじ)の書を読む、故に字に局し、通透(つうとう)することを得ず。まさに心を以て無字(むじ)の書を読むべし、すなわち洞(とう)して自得するところ有らん。
                   ー南洲手抄言志録


天地自然の営みや人々の生活の現場は、
万巻の有字の書にまさる活きた汲めども尽きない無字の学びの書です。

その無字の書を読む秘訣は、
「直心是道場」と禅語にあるように、
素直で柔軟な物や人と一つに溶けあう心です。

坐禅は、数息観三昧あるいは無字三昧になって、心を純化・浄化して安楽の境地に至り、直心を養う行です。