臨済宗方広寺派 祥光寺和尚  向令孝和尚が、
いま風の時代に"いまここ道場"を開設。禅の心をお伝えしています。
坐禅会、法話、接心、リトリート等のお知らせ。                      

お知らせ

2020年9月21日 at 09:07
明日の22日、午前10時と午後10時の2回、
ユーチューブで彼岸中日の特別配信をします。
Tomorrow, Tuesday 22nd, 10 am and 10 pm twice,
I will make a special delivery of Higan Chunichi Ceremony
on YouTube.
9/22,10am~ 彼岸会の法要(Ceremony)
https://youtu.be/wrDly3a3-lU
9/22,10pm~ 祈りと坐禅・瞑想の会(ZenMeditation)
https://youtu.be/Jz8CByX45Ls

勝縁

2019年1月16日 at 23:02

一昨日の晩、祥光寺本堂でジャズの生演奏を開催しました。
水曜坐禅会のメンバー「真ちゃん」こと生田真也氏のご縁で、プエルトリコ出身の父子とアメリカ人のネグロニズトリオによるライブです。


やっぱり、一流のミュージッシャンの生演奏は迫力があり素晴らしいものでしたし、般若心経の読経に合わせた即興の演奏も見事でした。
ピアノのホセ・ネグロニ(父)さんは、自然体で落ち着いた優しさのにじむ味のある人です。ドラムのノマー・ネグロニ(子)さんは、真ちゃんのバークリー音楽大学時代の友人でサングラスをはずすととても優しい眼をしています。打ち上げで好物の鳥の唐揚げを食べながら言ったノマーさんの言葉が印象に残りました。

「人生は、どこの大学を出たかより、誰と出会ったかが大切なことなんだ」と。



彼の言った言葉は、まさに「勝縁」ということでしょう。
お互いが豊かになる素晴らしい勝れた出会いです。

「無心にして大道に帰す」と言うように、
勝縁に恵まれるには、自我のとらわれを離れて無我・無心になり、慈愛の心を基に真実にして幸福な大道を共に歩む志が大切です。

その道行きには、「人生意気に感ずる」ところの、利害・得失を超えた共に生きる喜びがあります。

サザンカの花

2018年12月20日 at 01:36


街を歩いていると、今あちらこちらでサザンカの花が咲いています。
そこで、サザンカの花言葉を調べてみると、
「困難に打ち克つ」「ひたむきさ」だそうです。
花の少ない冬の寒さのなかで健気に咲く姿に由来しているようです。

道元禅師は、ひたむきにただひたすら坐ることが即ち悟りの境地だということで「只管打坐(しかんたざ)」の禅を広められました。


只管の中国語の意味は、「ほかのことに構わず、どしどしと」の意味。
サザンカの花に見習って、その時々で一番大切な事を、よそ事に気をとられることなく、雑念をまじえずどしどしとやりましょう。

臨済禅師のメッセージ

2018年9月19日 at 22:31


禅の修行を続けても何も特別に得るものはありませんが、

ただ生きるのが楽になります。

なぜなら、自分も人様も良い悪いと解釈しジャッジすることが少なくなるからです。


臨済禅師の究極のメッセージは

「自分の好きなように生きよ!」ということです。

ということは周りの人にも、
「どうぞお好きに生きてください」ということになります。


「好きに」ということは、

「ああすべし、こうすべし」「あれはいけない、これはだめだ」という是非の判断がほとんど入らないということです。

禅は、無我無心の脱思考で、一瞬一瞬を肚の直感で生きるのを最高の生き方だと説き、そのために脱思考の無になる訓練である坐禅・参禅修行をするのです。


幕末・明治維新の英傑の一人勝海舟は剣禅一如の達人ですが、自身の来歴や人物評など縦横無尽に語った時事談話集『氷川清話(ひかわせいわ)』は実に痛快な本で、こんなことを言っています。

行いは己のもの。批判は他人のもの。知ったことではない。

人はみな、さまざまに長ずるところ、信ずるところを行えばよいのさ。社会は大きいからあらゆるものを包容して毫(ごう)も不都合はない。

世間は生きている。理屈は死んでいる。


皆さん、是非の価値観や理屈にとらわれず、

もっと気楽に、自由に、大胆に生きましょう。