未在:まだまだ

すばらしい出会い(勝縁)に導かれて、この頃伝教大師・最澄さんに改めて出会い学んでいます。
十九歳で最澄さんが、比叡山に十二年の籠山修行にはいる覚悟を記した「願文」を読み。最澄さんの澄んだ自己省察、懺悔の心に感動しました。そのことについてはユーチューブ【禅の風】(https://www.youtube.com/channel/UCZsXuXz7BiNxtFphd0JUP1w)にアップしています。
そしてうかんできたのが二つの禅語、「識羞」と「未在」です。
識羞=しきしゅ、はじをしる
五祖法演曰く、「吾、参ずること二十年、今まさに羞(はじ)を識る。ー永いこと坐禅をしてきて何がわかったか。只、自分に恥じ入るばかりだ」
未在=みざい、まだまだ
白雲端禅師が五祖法演に語って言う、
「数人の禅僧が廬山からやって来た。皆悟入しているところがある。彼らに仏法を説かせると、また説き来たるその筋道がハッキリしている。古則因縁をとりあげて彼らに問うと、またその古則因縁も明かすことが出来る。‥……ただ未在だ。」
五祖法演はこの「未在」に疑問をもって幾日も坐り込み、ついに大悟した。
※白雲守端=(一〇二五~一〇七二)臨済宗、楊岐派。湖南省出身。
五祖法演=( ?~一一〇四)臨済宗、楊岐派。湖南省出身。白雲守端の法嗣。
私も禅僧になって、すでに40年……、ただ羞じを識るこの頃。「未在」と自分に喝をいれています(^0^)
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