臨済宗方広寺派 祥光寺住職向令孝(こっさん)が、"いまここ道場"スタッフと共に、禅の心をお伝えしています。
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利から愛へ

2020年5月22日 at 22:25


水曜坐禅会の「真ちゃん」こと生田真也氏(浜松市出身、バークリー音楽大学卒業、生田真也音楽事務所代表(http://shinyaikuta.web.fc2.com/mctjp.html)、
浜松ミュージック・アート少年団理事長)が、浜松凧を祥光寺に奉納してくれました。

コロナで先が見えない不安の中・・・、早期収束を願い人々を元気づけるような字を書いてほしいということで、本堂前のぬれ縁で話しあいました。

コロナをきっかけに、日本のみならず世界が大きく変わるだろう、その転換のキーワードは、

「利から愛へ」じゃないかな……。

ということで「愛」と半紙に墨書したのを、真ちゃんが拡大し凧に書き写し、一週間かけて作ってくれました。

英語のLOVEは、「愛」とも「恋」とも訳せるけれど、漢字の語源はどうなのだろう……?

ということで『漢字の形にはワケがある 』(KAWADE夢文庫)を調べてみました。

「愛」 過去を振り返ること
「旡」「心」「夂」の組み合わせによる「愛」。「旡」は人間が後ろを向く姿、「心」は人間の心、「夂」は人の足を表します。つまり、「愛」とは「人がゆっくり歩きながら後ろを振り返ろうとする心情」を表した漢字なのです。

「恋」 揺れる心
「恋」の旧字体は「戀」。「絲」は糸がもつれる様子、「言」はけじめを意味します。この下に「心」をつけると、「もつれた心の糸を解くことのできない状態」を示す「戀」になります。

            

漢字って面白いですね。

この頃ガーデニングにはまっていて、朝起きたら先ず庭をゆっくり歩きます。
ふと振り返って「あれ!このアジサイ水が欲しそう」と気づく。

無心な、ゆったりとした心が愛なのですね (*^▽^*)

恋は自我の想いで引っ張ったり引っ張られたりで、
もつれたり、乱れたりするわけです (^。^;)

今までの社会は、自我の思い・ストーリーが先行する、
自己中心の利益や利権が牽引してきました。ですから、「戀」と同じで乱れるわけです。

「愛」は、自我の思いを離れた、
無心・無分別の「あるがままの命」にほっこりと落ちつくことで自ずと生まれてきます。

「利から愛への転換」は、
坐禅や瞑想、あるいは無私の献身的な仕事による、ひとり一人の意識変革、人間的成熟が求められるわけです。

日本には元々そのような無私の仕事の素晴らしい伝統があり、今日まで目立たない普通の人々の間で確実に継承されてきています。

ZEN「禅」をはじめ日本の伝統精神を、ひとり一人が再発見し世界に発信する時なのでしょう。