独歩青天
人間の成長過程をたどってみると
誰でも「オギャ!」と赤ん坊で生まれ、
2歳ぐらいになると、
「私のママ」「私のオモチャ」というように、「私」という自我意識が芽生え「私」にとって大切な絆を意識するようになります。
「三つ子の魂、百まで」と言われるように、この時期に無条件の愛情に育まれることは、健全に成長するうえでとても大切です。
さて、次の第2ステップの少年期から青年期にかけての課題は「自立」です。
自らの自由意志をもって「自分で生きる」という積極的な生き方に転換することです。
特に青年期は孤独で不安なものです。今までの家族との絆から決別して「青年は旅に出る」ものですから。
親も、昔から「可愛い子には旅をさせよ」と言うとおり、一度居心地の良い家庭から我が子を外に放り出す勇気が求められます。
青年期の課題は、この不安・孤独を克服する自立の新たな根拠・土台を確立することです。
青年期に自立の土台がしっかりと形成されないと、世間の目を意識しすぎたり、会社等の所属する組織に飲みこまれたりしてしまいます。
言うまでもなく、世間も組織も究極のところ当てにはなりません。
残念ながら多くの人は、自我意識から脱することが出来ず、他を意識しすぎて世間や所属する組織から承認されることが安心の根拠となっているようです。
40~64歳の引きこもりが61万人を超えているそうですが、世間から自立し世間の価値観から自由になっていれば、引きこもりも引きこもりではなく、一次的な社会からのピットインとして英気を養うきっかけになるはずです。
「独歩青天」の真に自立した自由な人間となるには、先ず世間や組織から自立し、孤独に自己に沈潜し、自我の意識のあれこれの思いの届かない心の源(ソース)に立ち返ることです。
神仏は不可思議な心源にこそ居まします。
人間にとっての究極の拠り所・自立の根拠は、今も昔も心源の精神性にしかありません。
禅の修行は、その心源に徹する最短の道ですが、一般の人にはハードルが高いかもしれません。
でも、心源の精神性を体得することは誰にでもできます。
自分を支えてくれている天地の限りない命に気づき、感謝し賛嘆することです。
「ア・ス・モ」の真言を常日頃唱えることです。
「ありがたいな! すばらしいな! もったいないな!」と、日々暮らことです。
すなわち、悠久の天地を自立の根拠とすることです。
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