喜心




坐禅を続けてきたおかげで、年と共に喜心を感じることが多くなってきました。有り難いことです。

坐禅は、あれこれの思いの囚われ・自我意識を脱却して、本来生かされてあるところの心源・ソースに徹底する道です。
心源・ソースに徹底すればするほど、「あるがままで大丈夫」という無条件の自信・心の安らぎ(安心)に至ります。
心が安らぎほっこり落ちついてくると、いまここに生かされてあることの喜び(喜心)をしみじみと感じるようになります。

しかし坐禅を始め見性もした2,30代は、「喜心」を感じる余裕などなく、ただ仕事上の課題に必死で取り組んでいました。当時の坐禅は、あれこれ思うことなく眼の前の課題に全身心を投げ出してひたすらに生きる「直心」を用意してくれたように思います。
直心のすえに喜心に至ったこの頃と言えるでしょうか。




2019年1月23日