臨済宗方広寺派 祥光寺住職向令孝(こっさん)が、"いまここ道場"スタッフと共に、禅の心をお伝えしています。
坐禅会、接心、オンライン接心、行事・イベントのお知らせ。                      

喜心

2019年1月23日 at 23:23



坐禅を続けてきたおかげで、年と共に喜心を感じることが多くなってきました。有り難いことです。

坐禅は、あれこれの思いの囚われ・自我意識を脱却して、本来生かされてあるところの心源・ソースに徹底する道です。
心源・ソースに徹底すればするほど、「あるがままで大丈夫」という無条件の自信・心の安らぎ(安心)に至ります。
心が安らぎほっこり落ちついてくると、いまここに生かされてあることの喜び(喜心)をしみじみと感じるようになります。

しかし坐禅を始め見性もした2,30代は、「喜心」を感じる余裕などなく、ただ仕事上の課題に必死で取り組んでいました。当時の坐禅は、あれこれ思うことなく眼の前の課題に全身心を投げ出してひたすらに生きる「直心」を用意してくれたように思います。
直心のすえに喜心に至ったこの頃と言えるでしょうか。



勝縁

2019年1月16日 at 23:02

一昨日の晩、祥光寺本堂でジャズの生演奏を開催しました。
水曜坐禅会のメンバー「真ちゃん」こと生田真也氏のご縁で、プエルトリコ出身の父子とアメリカ人のネグロニズトリオによるライブです。


やっぱり、一流のミュージッシャンの生演奏は迫力があり素晴らしいものでしたし、般若心経の読経に合わせた即興の演奏も見事でした。
ピアノのホセ・ネグロニ(父)さんは、自然体で落ち着いた優しさのにじむ味のある人です。ドラムのノマー・ネグロニ(子)さんは、真ちゃんのバークリー音楽大学時代の友人でサングラスをはずすととても優しい眼をしています。打ち上げで好物の鳥の唐揚げを食べながら言ったノマーさんの言葉が印象に残りました。

「人生は、どこの大学を出たかより、誰と出会ったかが大切なことなんだ」と。



彼の言った言葉は、まさに「勝縁」ということでしょう。
お互いが豊かになる素晴らしい勝れた出会いです。

「無心にして大道に帰す」と言うように、
勝縁に恵まれるには、自我のとらわれを離れて無我・無心になり、慈愛の心を基に真実にして幸福な大道を共に歩む志が大切です。

その道行きには、「人生意気に感ずる」ところの、利害・得失を超えた共に生きる喜びがあります。

静寂

2019年1月9日 at 19:32


「静寂」と書き初めにかきました。
「動中に静寂を保持する」ことが、今年のテーマです。

白隠禅師は「動中の工夫は静中に勝ること百千億倍す」と言われています。

静中の工夫は、坐禅によりあれこれの思いを離れ、心しずかにあるがままの命に落ち着き安らぐこと、即ち心源に徹すること。

動中の工夫は、日常の慌ただしい生活の最中にあっても、心静かにあるがままの命に落ち着いて、環境に左右されない不動心を養うことと言えます。
即ち「動中に心の静寂を保持する」ことです。

さて、その秘訣は何でしょう……。

一、毎朝晩十分でも坐禅を続けて、いつでも思いから自由になれる禅定力を養うこと。
二、合気道の極意と同じで、動中にあっても完全な受動態・無の器・恵みの器と成りきることです。
完全な受動態と言うと、いかにも主体性が無いようですが、自我の思いにとらわれて余計なことをせず、その時その場で求められていることを素直にすることです。

「言うは易く行うは難し」で、
私にとっては永遠のテーマです。