臨済宗方広寺派 祥光寺和尚  向令孝和尚が、
いま風の時代に"いまここ道場"を開設。禅の心をお伝えしています。
坐禅会、法話、接心、リトリート等のお知らせ。                      

気づき(Awareness)

2018年4月26日 at 12:53
Awereness(気づき)

今することについて

明らかに気づいていて

そのことを心をこめてする


いまここを充実して心地よく生きる秘訣です。

禅では、「三昧」といわれ、最近では“マインドフルネス”の言葉で注目されている日々の生き方の大切なポイントです。

禅堂の生活では、気づき(アウエアネス、Awareness)がその場その場であったなと、最近気づきました(^。^;)

食事、入浴、参禅等その事をはじめる前に、お経を読んだり三拝・合掌したりして、

「今から何をしょうとしているのか」についての
気づきの行がありました。

無自覚に何となく一日が過ぎ、一年が過ぎ、一生が終わってしまうのでは、せっかくのさずかった命がもったいないですよね。

気づき(アウエアネス)のポイントは、

何かをする時、
まず一呼吸して
心をいまここに落ちつけ
「〇〇をしょう」と自分に言い聞かせることです。

例えば車で出かける時、こんな風にやります。

運転席に座ったら、
まず軽く息を吐き、大きく息を吸い、ゆっくりと吐いて、
上半身をリラックスさせ、ゆったりと座り
今から運転するんだと、自分に明らかに気づかせます。

そして私は自分流のこんな真言を唱えることにしています。

「ムーブ君よろしく、心地よく安全運転で行きます」と。

実はこれ、真言密教の身口意の三密加持の行にも通じています。

身体ですること:運転する良い姿勢、
口で言うこと:心地よく安全運転で行きます
意で思うこと:そのように言い聞かせ思う

この身口意を一つにするのです。

真言密教は三密加持で即身成仏する、つまり生身で仏の境地に至る行ですから、
何と! 仏(ブッダ)に成って運転することになるのです(^0^)


成りきる①

2018年4月20日 at 14:43
成りきる力①
ーホワイトボードをクリーンにして、今ここに立ち返ろう
                
禅堂の日々の生活、坐禅・読経・托鉢・掃除・作務(畑仕事等)・料理・食事等、すべての中で養われるのが成りきる力(禅定力)です。

身と心を一つに、目前の事をていねいに心をこめてする力です。

逆に、成りきることが何故難しいかと言うと、
「こんな事をしてて何になるのか?」と思ったり、次にする事に心が奪われて焦ったりと、雑念がおこるからです。

人生の本番は、常にいまここです。

と言っても、人間は考える動物ですから、カラスがカーカーと鳴くように、今ここの単純な行為だけが生きることではありません。

人間が、思うのは人間の素晴らしい能力で、思考がなければ文明社会もありえません。

要は、思考が雑念になってより良く生きることの妨げとなるか、より良く生きるための道具(正念・正思惟)となるかの違いです。

思考は、ホワイトボードに字を書くようなものです。
字を書いてばかりでは、次第に何が書いてあるのか、何が重要なのかを整理して考えることが出来なくなります。
そんな思考の袋小路で迷ったりしたら、今ここの人生を味わいエンジョイすることが出来ません。

思考のホワイトボードは、使ったら(思考したら)、常に真っ白にイレーサーでもどしておくことが大切です。

坐禅で無心になるのは、言語意識であるホワイトボードを真っ白にもどし、明瞭に冷静に考える道具としてクリアーにしておくことです。
その無心になる力が禅定力をもってする坐禅です。
でも、毎日10分でも坐禅をつづけないとなかなか無心になれないようです。

そこで、もっと簡単な無心に「今ここに立ち返る」方法を紹介しましょう。

いまNHKやグーグルの社員教育等で注目されているマインドフルネスです。マインドフルネスの源流は、禅あるいは真言密教にあると思いますが、その話は別の機会にして、この頃実践しつつある方法を紹介しす。

①上半身をリラックスさせ背筋をのばします。
②かるく息を吐いて、おおきく息を吸って、ゆっくりと息を吐きます。
①②だけでも効果はありますが、ゆっくりと息を吐きながら自分なりの言葉・真言を心で、あるいは声を出して唱えます。

私が今実践しているのは、禅堂に入る時、外出と帰宅の時、車に乗る時、赤信号待ちの時です。

禅堂に入るときは、シンプルに「よろしくお願いします」
外出と帰宅も、本堂前でシンプルに「行って参ります、ただ今帰りました」
車に乗る時は、「ムーブちゃんよろしく、みんなの幸せのため、心地よく安全運転します」
赤信号待ちでは、「赤信号くんありがとう、安全運転で行きます」

もう少しこうした自分なりの真言を増やして唱えることが習慣化すれば、普段の日常生活すべてが禅堂のように、その時々の事に成りきった、もっと充実した心地よいものになると、楽しみにしています(^0^)

Hero in you

2018年4月14日 at 21:29

Hero in you-あなたの心の中に主人公はいる

心のなかを覗いてみて

そうすればヒーローが見つかるから

自分が何者なのかなんて気にすることはないわ

心の奥ふか<にどけば

答えはきっとそこにある

胸にたまった悲しみもゆるやかに溶けて流れていくわ

そしてその時、ヒーローがやってくる

苦難に打ち勝つ力を携えて

恐れを払いのけ生き抜く力が湧いてくるはずよ




大好きなマライアキャリーの「Hero」の歌詞です。
この歌を初めて聴いた時、
まさに「禅そのものだ!」と感動しました。

ここで歌われているヒーローは、英雄というより誰もの心の奥底にある本当の自分、
禅でいう「主人公」でしょう。

自分が何者であるか“What you are,’なんて気にすることはないという何者は、
社会的な世間から見た時の自分が何者かということでしょう。

誰でも社会の中で、自分がいかにも非力でとるに足らない存在と思え、
不安や淋しさを感じることがあります。

でも、そういう社会から見はなされたような、独りきりの状況でこそ本当の自分、
あなた自身の主人公(ヒーロー)に出会えるのです。

ブッダの大悟は、菩提樹の下インドの大地にどっかりとすわり、独りで坐禅三昧の行を始め、
そして49日後の12月8日の夜明け前に訪れたと伝えられていますし、

原始仏典「ブッダの言葉、スッタ・ニパータ」には、
「サイのごとくに独りで歩め」とくり返し述べられています。
サイは群れずに単独で生活するので、孤独な求道者に例えられたようです。

独りきりの自分になることが、心の源に沈潜する条件であり、
自我(マインド)の底を破り心の奥深<に徹底してこそ、
世間的価値に左右されず、どのような状況にあっても生き抜く、天地と一体の本来の生命力が湧いてくるのです。

まず独りきりの自分に落ちつき自立した命に帰りましょう。
独りきりで居ることは、人生のピットインです。
相互信頼と愛にあふれた素晴らしい人間関係は、人生をピットインしてそうした自立した自分を用意することで育まれてきます。

There’s a hero
If you look inside your heart
You don’t have to be afraid
Of what you are
There’s an answer
If you reach into your soul
And the sorrow that you know
Will melt away
And then a hero comes along
With the strength to carry on
And you cast your fears aside
And you know you can survive



These lines are the beginning verses of “Hero” by Mariah Carey which I have loved very much.
When I first listened to this song, I thought “This is Zen itself!” with a deep impression.

The Hero in this song means not a typical man like a Greek hero, but a true-self existing deep inside of everyone. A Zen word “Syujinkou” also has the same meaning.I think “What you are” means social-self estimated by other people.

However, anyone may have thought himself powerless and worthless to feel fear and loneliness in this society, you can meet a Hero of true-self deep inside of your heart, when you are alone.

Around 2500 years ago, Shakyamuni Buddha began to sit on the earth alone in India under the bodhi tree and did Zazen, and after 49 days, he finally achieved enlightenment. In the earliest Buddhism teaching “Sutta Nipata”, he said, “Wander alone like a rhinoceros”.

Therefore, to be in solitude is the condition to reach into your heart. When you reach deeply into your heart, you can break through walls of your mind and original vital energy of oneness with all life would rise up naturally.

Therefore, let’s be alone to meet the Hero of true-self.
Only when you are alone in peace, you can create a good relationship with other people to love each other and to trust each other.


あなたは、あなたのままでOK

2018年4月5日 at 19:57


本堂裏の梅にたくさん実が成り始めています。
春が来て暖かくなると、多くの植物が実をつけ始めます。

でも、どのようにして植物は花を咲かせ実を成らせるのでしょう?
もちろん、植物が育つには、水や、空気や、太陽の光や、土壌の栄養素が必要なことは言うまでもありません。

植物たちは、とても賢いなあと感心します。
なぜなら、植物は自分たちの成長に本当に必要なものを知っていて取り入れているからです。

植物は植物である自分に満足し、自分たちの成長の過程を楽しんでいるようです。
たとえば梅の木は、梅の木の自然な成長の過程にしたがって、花を咲かせ実をつけ、梅の木三昧しています。

もちろん植物は、もっとお金が欲しいとか、偉くなりたいとか、有名になりたいとか思って、焦ることはありません。
人間のように、あれこれ思う自我意識がないのですから。

人間だけは、自我意識(マインド)にとらわれ、あれこれと思いすぎて、本来の自然な成長の過程、三昧の道を見失いがちです。

現代人は、「付加価値」という言葉で象徴されるように、在るがままのものに価値をつけ、宣伝し、高く売るという生き方があたりまえになっているようです。
しかし人間の価値や尊厳は、付加価値以前に、ただ在ることにあります。そして、ただ在ることに落ちつくことが、真の内的成長や人格の熟成を促すのです。

自然で健全な人間的成長をうながす三昧の道を歩むには、自我意識を離れ、あれこれ思うことなく今の自分に満足し、故郷の家に居るようにくつろぐことです。つまり、本来の自分に帰ることです。

坐禅は、あれこれ思うことなく今の自分に満足し、故郷の家に居るようにくつろぎ、無条件の喜びと平安のうちにただ在る、人類が2千数百年前から伝えてきた最高の道です。

道元禅師は、この坐禅を「王三昧」と讃えています。
すなわち、完全な存在の三昧と。

May you be content with yourself just the way you are

The Japanese plum “ume”tree in the backyard of “hondou” is bearing many pieces of fruits. When Spring comes, and it gets warmer, many plums begin to bear fruits, but how do plums grow to make flowers bloom and bear fruits? Plums need water, air, sunlight, nutrients of soil, temperature, space, and time to grow. I think plums are very clever, because they know what they really need to grow. They are content with themselves just the way they are. You can call their way “tree’s samadhi”, the natural way to grow. Of course, they have no anxiety for money, for selfish aggrandizement, or for fame, because they don’t have self-consciousness at all. Only humans have self-consciousness and think too much to miss samadhi of the natural way to grow. It has become the common way of thinking for modern people to add value to something, to advertise it, and to sell it at a high price. However, the fundamental value and dignity of humans is just being without extra value, and to be satisfied with just being supports for his true growth of inside.
Then, how humans can go on the natural and sound way of samadhi? Being content with yourself to feel at home and relaxed without self-consciousness is the way. Therefore, doing Zazen is not ascetic practice but joyful and peaceful practice to be gratified with yourself feeling at home. Dogen praises this samadhi “royal-samahdi”, which means absolute being samadhi.

春風駘蕩

2018年3月30日 at 21:23


春風駘蕩

今朝は、まことにのほほんとしたレイジーな気分です。

気分転換に庭に出てみると、本堂前の大島桜が満開をすぎ、春風にはらはらと散っています。

本堂裏では、そろそろタラの芽が出てきました。


書斎にもどってしばし坐禅…

「そうだ墨跡を書こう!」と思い立ち、

心のなかに桜を舞い散らせ

「春風」と書きました。


言志四録の中の一節に
「人に接するに春風駘蕩のごとく。秋霜烈日をもって自らを慎む」とありますが、

3月生まれの私は、自らに秋霜烈日のように厳しくや慎独はどうも苦手です。

人は誰でも自分に甘いのでしょう…、でもそれは自然なことです。

是非を思いながら、自分に厳しく慎ましくあることは、ストイックであっても自分を意識しとらわれるので、心は柔軟ではありません。

道元禅師は言います
「仏道(真実の道)をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふというは、自己をわするるなり」と。

ですから、良い悪いの思いを離れ、リアルな今ここの場に身も心も投げだしましょう。

一瞬一瞬を「ナーム」の帰依・献身の心で生きていけば、やがては、春風駘蕩の慈愛の場に遊ぶあなたが居るでしょう。




The mild spring breeze
I felt lazy and relaxed this morning. I went out into the garden for a change. The Oosima-cherry blossoms passed the peak bloom period falling with spring breeze. Tara’s sprouts in the backyard were just coming out. After taking a walk in the garden for a few minutes,
I backed to my study and did Zazen.
Suddenly I thought “Now I will do calligraphy”.
I made cherry blossom petals flutter inside me to write Syun-puu:spring breeze.
There is a following famous phrase in Gensisiroku : Be gentle welcoming others like mild spring breeze and be strict with yourself carefully like cold autumn frost. However, it is difficult for me born in March to be strict with myself and be careful. I think everyone is easy on himself, and it is natural.
It is stoic but not flexible to be strict with himself carefully thinking right or wrong.
Dogen said, “To learn the Way is to learn about oneself. To learn about oneself is to forget oneself.”
Therefore, you should throw yourself here now to forget the self and be free from the mind of right and wrong. When you live with “na-mo” of devotion every moment, you would be living in the mild spring breeze in time.

祥光寺彼岸会・コンサート

2018年3月15日 at 12:06
  祥光寺の彼岸会とコンサートの案内です。

     彼岸会もコンサートも、どなたでも参加自由です。

大井際断老師の遷化

2018年3月6日 at 17:32
大井際断老師の遷化

平成30年2月27日午前2時57分、
臨済宗方広寺派管長大井際断老師が遷化されました。
大正4年2月26日がお誕生日で、103歳になられたばかりでした。

24日(土)の夕刻、浜松市内高町別院の禅会で無門関の提唱をされ、夜に安心してお休みいただくため去年9月から利用されている方広寺門前のみやまの里に帰られ、翌25日に発熱、26日の午後呼吸困難となり三方原精霊病院に急遽移動、B型インフルエンザによる急性肺炎と診断されそのまま入院していただきました。
これでひとまず安心と思って帰った矢先に深夜様態が急変し、私たちが病院に駆けつけた時には既に息を引き取られていました。

26日の夜、「お元気になられて、また食事をご一緒するのを楽しみにしています」と手を握ってお別れしたのが最後となりました。

学生の頃から半世紀、老師の身近に居させていただき、その謦咳に接し、参禅指導をたまわったことを思い起こすと、溢れるばかりの師の恩愛を感じ涙が禁じ得ません。

老師の日常はまさに「前後際断」。

噂話、世間の評判、お説教、命令的な指示など一切なく。絶対の受容性にただ凜然とありながら「いまここ」を生きておられました。
特に最晩年は、
「結構ですよ!」「ありがとう!」と、
まわりへの感謝と賛嘆の言葉に終始されていて、お世話をするヘルパーの皆さんが、老師のお側にいると元気をいただけると喜ばれていました。

四国巡礼のお遍路さんが、弘法大師と常にともにあるという意味で「同行二人」とその被る笠に書きつけるように。

私も、弟子として生涯師と共に歩み続けるべく、細行を慎んで生きていかねばと、自らに言い聞かせています。




At 2:57 AM on February 27, 2018, our OI-Saidan-Roshi died in Seirei Mikatahara Hospital. He was born on February 26 in 1915, so he just turned 103 years old.
In the evening of 24th, he gave “Mumonkan Teisyo” at Takamachi-Betuin in Hamamatsu-city. After that, he went back to Miyamano-Sato nursery home in which he has been living safely and with comfort since last September. He got a fever on the following 25th and had signs of respiratory distress in the afternoon on 26th. Therefore, he was suddenly moved to Seirei Mikatahara Hospital.
The doctor said he got pneumonia from the flu. He recovered to a temporary lull by medical treatment and fell asleep soon after.
However, in the midnight his condition suddenly changed for the worse. When we came to the hospital he already went to another world.
It was the last time that I parted from him with holding hands saying, ” I am looking forward to eating out together again.” in the evening of the 26th.
For half a century, I have been his Zen student and disciple serving him nearby.
When I remembered him, I can’t help but crying, feeling gratitude to his deep love. It is not sorrow but overflowing thanks.
The everyday life of Oi-Roshi is precisely “cutting the mind of before and after.” to live now and here.
There have been no rumors, reputations, sermons, in his saying. He had been living in absolute acceptance with a commanding presence.
Especially in recent years, he only said: “That’s fine!” and “Thank you!” with a gentle smile.
It was a pleasure for everyone of the helpers to take care of him because his words of thanks and admiration for surroundings made them happy.
I will continue Zen way following a lifetime master of Oi-Roshi. He will be living forever inside me.



HP勉強会参加

2018年2月16日 at 12:42
HP勉強会に参加しています。
素晴らしい講師です。

今までサボっていましたが、
これからは
「いまここ道場」HPにブログも集約して充実させますよ