直心是道場

2018年11月2日 at 08:12




  直心是道場(じきしんこれどうじょう)

人生で師と仰げるような素晴らしい人に出会えるのは、とても幸せなことです。

感動をもって人に出会う。
その出会いの充実した楽しい一時は、思い出しても懐かしくうれしく、何よりも生きる励みとなり自分を成長させてくれます。

妙心僧堂で雪丸令敏老師に相見したあと、貴布祢の料理旅館でご馳走になったうえ京都駅までタクシーで送っていただきました。

親しくお側に居させていただいたのは数時間ですが、
「やっぱり、この老師は素晴らしい、師と仰ぐべし!」と思いました。

おそらく20代の雲水時代から今日までの約60年間、ほとんどが僧堂生活で一貫して修行を続けてこられたのでしょう。その刻苦の修行もさることながら、命直(いのちじか)づけの修行が徹底されていると感じました。

中学を出てすぐに大工修行に入り、縁あって二十歳の頃に出家し修行を続けられたようですから、知的に字面で学ぶより、身心一如の境地で命直づけの学びに徹底できたのだろうと思います。字面で多くのことを知って語れる人は多いでしょうが、語らずとも体得し実践している人は少ないものです。

タクシーの運転手さんよりも京都の道に詳しかったり、女将さんや仲居さん他多くの縁のある人のことを家族のように覚えていて「誰それはどうしてる?」と、気さくに親しく声をかけながらチップをはずまれる御本人は、雲水でも外出には着ないようなパッチワークの作務衣なのですから、自らは清貧にして利他行を楽しんでおられるのだと感心しました。

学は自得を貴ぶ。人いたづらに目を以て有字(うじ)の書を読む、故に字に局し、通透(つうとう)することを得ず。まさに心を以て無字(むじ)の書を読むべし、すなわち洞(とう)して自得するところ有らん。
                   ー南洲手抄言志録


天地自然の営みや人々の生活の現場は、
万巻の有字の書にまさる活きた汲めども尽きない無字の学びの書です。

その無字の書を読む秘訣は、
「直心是道場」と禅語にあるように、
素直で柔軟な物や人と一つに溶けあう心です。

坐禅は、数息観三昧あるいは無字三昧になって、心を純化・浄化して安楽の境地に至り、直心を養う行です。