臨済宗方広寺派 祥光寺住職向令孝(こっさん)が、いま風の時代に"いまここ道場"スタッフと共に、禅の心をお伝えしています。
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真言三昧

2018年11月29日 at 09:29


真言とは、
梵語のmantraで、いつわりのない真実の言葉。密教で、仏・菩薩などの真実の言葉ということです。
私は、心の源(ソース、神仏)より出でて、また心源に回帰する、
あれこれの思い分別にとらわれない真実の言葉。あるがままの地平に着地して、自他ともに真実にして幸福に生きる心の筋力・原動力となる言葉ととらえています。

真言は、弘法大師・空海が虚空蔵菩薩の真言を100万回以上唱え、超人的な記憶力を授かったと伝えられるように、日々何回も唱えることで威力を発揮します。
何万回と唱え続けることで、心の土壌が深層から素晴らしく改良され滋味豊かになるわけです。

私たちが日常生活で簡単に唱えることができる真言は「アスモ真言」
「アりがたい、スばらしい、モったいない」の、感謝と賛嘆と畏敬の言葉です。

その他、「いってきます、ただいまかえりました、いただきます」など、自分も周りの人も元気にハッピーな気持ちになる言葉は真言といえます。大切なことは、心をこめ慈しみと愛をもって、発声することです。

70を超えると、健康寿命をいかに保つかが一番重要なテーマと思い、この頃、作務なんかで疲れた時は近くのスーパー銭湯によく行って身心をリフレッシュしています。

お湯につかって
     「ああ、ありがたい!」

露天風呂から満月を拝んで
     「ああ、すばらしい!」

食事をいただいて
     「ああ、もったいない!」と小声で言います。

この「アスモ真言」をいつも言っているおかげで、限りない天地の恩愛、あるがままにただ在るところの浄福を、より深く感じるようになりました。

真実にして幸福な人生は、「アスモ真言」の感謝と賛嘆と畏敬をベースに生きるところにあります。

狂い咲き

2018年11月11日 at 21:39


   諸君、狂いたまえ!


これから冬に向かうというのに、本堂前の大島桜が咲き出しました。

いつもなら3月中旬の春の訪れに咲き出すのですが‥‥

たぶん、この間の台風の潮風で一斉に葉が落ちきってしまったことと、11月とは思えないこの頃の暖かさが原因なのでしょう。


狂い咲きと言えば、

吉田松陰は「諸君、狂いたまえ。」と言い、自らを狂愚とよんだそうです。

「狂」は積極的に何事かを進み取り行動することに鋭く。
「愚」は逃げることを知らない馬鹿正直な人間という意味のようです。

まさに吉田松陰の生き方そのもを体現したかのような言葉です。


確かに、大きな成功をおさめた事業家や発明家は、どこか常軌を逸した狂ったような行動をしています。


平凡に安穏と生きるのも良いですが、

限りある人生、狂ったように生きるのも面白いかも知れません。


【追伸】
ブログ配信の文章がなかなか思いつかなくって困っています。

何か同じことばかり言っているようで(^。^;)

そこで今回からは、今週の禅語・名言というテーマで配信することにします。

直心是道場

2018年11月2日 at 08:12



  直心是道場(じきしんこれどうじょう)

人生で師と仰げるような素晴らしい人に出会えるのは、とても幸せなことです。

感動をもって人に出会う。
その出会いの充実した楽しい一時は、思い出しても懐かしくうれしく、何よりも生きる励みとなり自分を成長させてくれます。

妙心僧堂で雪丸令敏老師に相見したあと、貴布祢の料理旅館でご馳走になったうえ京都駅までタクシーで送っていただきました。

親しくお側に居させていただいたのは数時間ですが、
「やっぱり、この老師は素晴らしい、師と仰ぐべし!」と思いました。

おそらく20代の雲水時代から今日までの約60年間、ほとんどが僧堂生活で一貫して修行を続けてこられたのでしょう。その刻苦の修行もさることながら、命直(いのちじか)づけの修行が徹底されていると感じました。

中学を出てすぐに大工修行に入り、縁あって二十歳の頃に出家し修行を続けられたようですから、知的に字面で学ぶより、身心一如の境地で命直づけの学びに徹底できたのだろうと思います。字面で多くのことを知って語れる人は多いでしょうが、語らずとも体得し実践している人は少ないものです。

タクシーの運転手さんよりも京都の道に詳しかったり、女将さんや仲居さん他多くの縁のある人のことを家族のように覚えていて「誰それはどうしてる?」と、気さくに親しく声をかけながらチップをはずまれる御本人は、雲水でも外出には着ないようなパッチワークの作務衣なのですから、自らは清貧にして利他行を楽しんでおられるのだと感心しました。

学は自得を貴ぶ。人いたづらに目を以て有字(うじ)の書を読む、故に字に局し、通透(つうとう)することを得ず。まさに心を以て無字(むじ)の書を読むべし、すなわち洞(とう)して自得するところ有らん。
                   ー南洲手抄言志録


天地自然の営みや人々の生活の現場は、
万巻の有字の書にまさる活きた汲めども尽きない無字の学びの書です。

その無字の書を読む秘訣は、
「直心是道場」と禅語にあるように、
素直で柔軟な物や人と一つに溶けあう心です。

坐禅は、数息観三昧あるいは無字三昧になって、心を純化・浄化して安楽の境地に至り、直心を養う行です。