ブログ (風のたより・Zen Breeze)

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2019年2月13日 : 七十の手習い

    【風信帖、空海】


七十の手習いで書道を始めました。

人様に差し上げて喜んでもらえるような墨跡を書きたい。
我流ではなく基本の臨書からやってみたいと思い立ち始めました。

ネットで探していたら、たまたまホームページが充実していた浜松市内の仮名が専門の先生に入門しました。仮名、漢字、実用と欲張ってならっていますが実に楽しい。

「あるがままの命(気)の律動の自ずからなる表現」ととらえると、すべてに通じるなと思いました。

臨書は形を真似ね、またその精神を習うことにより、我を無くし心を純化し養うものだと感じています。

書道をとおして、話すこと、思うこと等、日常万般において、まだまだ心源の純一な命に深化していない混濁した自分が自覚されます。

禅、書、華、茶、俳句…と、道を楽しむ日本文化は素晴らしい!


2019年2月5日 : 顧みる


「日々是好日」の禅語で有名な中国唐時代の雲門禅師に、「三字の禅」という公案があります。顧・鑑・?(こ・かん・い)の三字で弟子たちを指導したということです。
顧は、自らを振り返ること。鑑は、自らかんがみて戒めとすること。?は、説くことの出来ない境地。

禅は、あれこれの思考を離れ、いまここを成りきって生きることを説くばかりではなく、自らを振り返ることも大切なことだ教えているわけです。
例えば、毎日就寝前に少し坐禅をして1日を感謝の気持ちで振りかえることは安眠にもつながります。今日一日無事に過ごせたのは。多くの人々の恩愛や食物等の恵みのお陰ですから、「ありがとうございました」と振り返るだけで心がほっこりと豊かになります。

嫌なこと失敗したことも、神仏からのプレゼントと受けとめ振り返ると、成長につながる気づきがあります。

実は数日前、本山の大法要で失敗をしました。
式の流れに影響するほどのミスではないのですが、心が少しめげました。
そこで「顧」、失敗の原因を振り返って気づきました。
元来「我が道を行く」で自己中になりがちな私だから、私にとってははじめて経験する役で、自分がする事ばかりに気をとられ、私が補佐する大導師や全体の流れの中での配役という観点が欠けていたようです。
なにごとも「観の眼」、全体観をもって場に奉仕するよう心がけようと思いました。

2019年2月1日 : 平常心
大坂なおみ選手が全豪オープンで優勝し、全米大会に続く2連勝で女子世界ランキング1位になりました。

「INNER PEACE、インナーピース」

大坂なおみ選手が口にした言葉です。
直訳すると(内なる平和)ですが、心が静かで穏やかなときに、いいプレーができるという意味です。日本語では「平常心」にあたるでしょう。
相手のプレーにイライラしたり、プレーが思うようにいかなくて不安になったりすることなく、「平常心」を保つことで試合を良い方向へ導き自分の実力が発揮できたということです。

禅語に「平常心是道、びょうじょうしんこれどう」(無門関第19則)という公案があります。唐時代の禅僧南泉和尚に弟子の趙洲和尚が「如何なるか是道」と尋ねて、南泉禅師は「平常心是道」と即座に答えられたという、禅門では有名な公案です。

「道」とは、皆と共に行く真実に幸福な人生の大道です。
ですから、平常心を保つことはプロスポーツの世界だけでなく誰にとっても大切な人生の智恵です。

「平常心をもって一切の事をなす人、これを名人というなり」
柳生宗矩(徳川家の兵法指南役)の言葉ですが、どんな時でも平常心を保つことたやすいことではありません。
大坂なおみ選手は、平常心を保てた秘密に、《靴は右から履く》《朝食は必ずサーモンベーグルを食べる》など独自のルーティンがあることを明かしていたそうです。
ルーティン(routine)とは「決まった手順」「お決まりの所作」「日課」などの意味です。

例えば私のルーティンは、①朝起きたら朝日と、晴れた日は遠くの富士山を拝む②軽くストレッチ・気功をしてから坐禅をする③
朝食前、ご先祖の仏壇に茶湯をあげて合掌礼拝する③寺を出るとき帰った時、外からご本尊と師匠の遺影に向かって「行って参ります、ただいま帰りました」といって合掌礼拝する等です。
お陰さまで、毎日(スッキリ・サッパリ・サワヤカ)に楽しく暮らしています。

皆さんも、是非自分なりのルーティンを作って、日々平常心をもって暮らしてください。

2019年1月23日 : 喜心



坐禅を続けてきたおかげで、年と共に喜心を感じることが多くなってきました。有り難いことです。

坐禅は、あれこれの思いの囚われ・自我意識を脱却して、本来生かされてあるところの心源・ソースに徹底する道です。
心源・ソースに徹底すればするほど、「あるがままで大丈夫」という無条件の自信・心の安らぎ(安心)に至ります。
心が安らぎほっこり落ちついてくると、いまここに生かされてあることの喜び(喜心)をしみじみと感じるようになります。

しかし坐禅を始め見性もした2,30代は、「喜心」を感じる余裕などなく、ただ仕事上の課題に必死で取り組んでいました。当時の坐禅は、あれこれ思うことなく眼の前の課題に全身心を投げ出してひたすらに生きる「直心」を用意してくれたように思います。
直心のすえに喜心に至ったこの頃と言えるでしょうか。




2019年1月16日 : 勝縁

一昨日の晩、祥光寺本堂でジャズの生演奏を開催しました。
水曜坐禅会のメンバー「真ちゃん」こと生田真也氏のご縁で、プエルトリコ出身の父子とアメリカ人のネグロニズトリオによるライブです。


やっぱり、一流のミュージッシャンの生演奏は迫力があり素晴らしいものでしたし、般若心経の読経に合わせた即興の演奏も見事でした。
ピアノのホセ・ネグロニ(父)さんは、自然体で落ち着いた優しさのにじむ味のある人です。ドラムのノマー・ネグロニ(子)さんは、真ちゃんのバークリー音楽大学時代の友人でサングラスをはずすととても優しい眼をしています。打ち上げで好物の鳥の唐揚げを食べながら言ったノマーさんの言葉が印象に残りました。

「人生は、どこの大学を出たかより、誰と出会ったかが大切なことなんだ」と。



彼の言った言葉は、まさに「勝縁」ということでしょう。
お互いが豊かになる素晴らしい勝れた出会いです。

「無心にして大道に帰す」と言うように、
勝縁に恵まれるには、自我のとらわれを離れて無我・無心になり、慈愛の心を基に真実にして幸福な大道を共に歩む志が大切です。

その道行きには、「人生意気に感ずる」ところの、利害・得失を超えた共に生きる喜びがあります。



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